国家の論理と企業の論理
国家の論理と企業の論理―時代認識と未来構想を求めて (中公新書)
- 作者: 寺島実郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1998/09
- メディア: 新書
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[内容]
グローバル化が進み、新たな仮想国家時代へ突入した今、日本は、企業はどのような基軸を持って行動すべきか。
[感想]
論文3報をまとめたものらしく、結構読みづらい。この手の本はだれ向けなんだろう?内容はかなり難しいぞ!
よく教授が、日本はこのままだとダメになってしまう!みたいなことを言うが、私はいつも、日本を救うよりまず自分が大きくならなきゃ!と思っていた。この本で指摘されていることだが、自国のために!という国際的常識ともいうべきものが、日本からはなくなりつつある。つまり、国より自分なのだ。そりゃ国へのコミットメントと言ったら、どうやっていくら払っているのかも分かりにくい税金ぐらい、徴兵制がないこともお国のため!という気概を減らしていることは間違いない。戦争経験が嫌悪すべきものと間接的に刷り込まれ、「国のため」という言葉を用いると変人に見られる社会なんて・・・
少し古い本(10年ちょっと前)なので、今は著者の意見は違うかもしれないが、「金融はあくまで触媒、だまされるな、モノづくり日本でいけ」という意見は賛成しかねる部分もある。つまり、金融も大事だということ。ものづくりだけやってればいいってもんでもない。もちろん基軸はそれでもいいが、こういう言い方で書かれると、「金融やってるやつは悪人だ」と読者が思うんじゃないか?私は、すべて必要だと思う。
[概要]
世界は正体不明の故郷喪失のコスモポリタンを信頼しない。
日本人としてのアイデンティティと基軸にこだわりながら、世界に一定の敬意をもって受け止められる議論をなすことが求められている。
モノ・ヒト・カネ・企業・情報・犯罪のすべてが、実にやすやすと国境の壁を超えるようになって、近代国家の基本的主権のひとつである徴税権がおびやかされ、電子マネーの普及によって、間もなく貿易収支の数量的管理さえも危うくなり、国境で犯罪を防止することもできないというジレンマに直面する。
国民国家の国力
土地→工業生産力→通商国家モデル
仮想国家
企業の国境を超えた活動によって、国力概念が変質し、自国の領土を基盤とした生産能力にこだわらなくとも、移動可能な目に見えない付加価値としての情報、技術、知識、システムなどに立脚することによって、新たな経済力と維新を保持した国家が台頭してくる。
仮想企業(本社機能のみ本国へ、その他生産機能などを海外へ委託する企業)の台頭により、仮想国家が生まれる。
国境を越えつつある企業は、グローバルな視界を広げつつあるにもかかわらず、世界秩序に責任を担うところまではとても到達していない。
仮想国家時代においても、米国の圧倒的優位性は変わらない。
:情報、技術、知識、システム、デザイン、金融、法務などのソフトウェアを想像するパワー
しかし、これらは統一国家戦略によるものではなく、挑戦が開かれた風土による。
ユダヤはソフトパワーのみで生き抜いてきた。
ユダヤ的思想:脱国家主義+高付加価値主義
怒涛のグローバリゼーションの中では、ナショナリズムは孤立し、国際競争の落伍者となる。
日本としては、グローバリズムのメガトレンド、エネルギーをしなやかに吸収し、時代の流れに乗った国づくりをすることしか選択肢はない。
1.競争を導入し、世界から新しい時代の風が入りやすくする。
2.グローバリズムがもたらすマイナスの問題を国家間の協調をベースに対策する。
3.国として情報電子システムへ投資する。
4.人材ポテンシャルの総合活用を図る。
米国の問題
1.貧富の格差
2.競争の結果の寡占
3.実質的米国支配:抑圧的寛容
日本が誇れるもの
1.経済成功の公正分配による健全な中流層の形成
2.平和主義
日本が目指すべきもの:ものづくりを基本に(金融は触媒である)
アメリカの対日貿易赤字と対中貿易赤字は性質が違う。
対中は、単に投資が育ったの結果。